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いのちを生きる、それを阻むものへの怒りとして



 一昨日、ドキュメンタリー映像を作っているKさんと話をしていたときのこと。

 Kさんは、広島の被爆者と外国に船の旅に出かけ、そこでビキニ環礁で被曝した人たちやアジアで第二次世界大戦で戦災にあった人たちと交流し、それをドキュメンタリー映画としてDVDにしている人だ。
 学校で行く就学旅行での語り部などをしている人たちが登場するが、Kさんは、ふだんそうした話をしている語り部の方たちの姿が、なんとなくスタイルとして固まってしまっていて、生きたものになっていないのではないかと感じていたそうだ。それが、一緒にそういう旅をして、自分の被曝体験をもう一度とらえなおすような機会を与えられると、被爆体験の語り自体が、生命を吹き込まれたように生き生きとしたものに変わっていくのがわかって、それを映像にしてみたのだと言う。

 そのKさんに、この夏休みに福島の子どもたちを招いて行なった「明石であそぼう!たこ焼きキャンプ」に二日に渡ってきてもらい、子どもたちの映像を取ってもらった。その撮影手法も変わっていて、撮影のクルーやナレーション、インタビューなどは、ベトナムから来ている高校生が体験学習として参加していた。撮影に来ているときも、いつの間にか福島の子どもたちがカメラを抱え、マイクを持つようになって、明石の市場「魚の棚」を歩いている人たちにインタビューをしたりしていた。まさに、参加型のドキュメンタリー映画で、とても面白い。

 Kさんいわく、映像を撮るというのは、一種の遊びであり、同時に人と人とのコミュニケーションを深めるツールなのだそうだ。ただ話をするだけでは現れてこない面白さが生まれてくるのだという。



 そのKさんと色々話しているうちに、なんで僕が「たこ焼きキャンプ」をすることになったかの話になった。
 
 実は自分の深いところでは、放射能が怖いだとか、福島の子どもがかわいそうだとか、原発事故に対する怒りだとか、被災者を救いたいだとか、そういうことが動機なのではない。福島の子どもたちが、外で思いっきり遊ぶことができない、そういう状況が作られてしまったことがたまらなくなって、やろうと言いだしたのだ、とKさんに語っていた。

 子どもは本来、遊ぶのが本業。良寛さんではないが、子どもが思う存分遊んでいる姿を見るのが僕は好きだ。
 なぜ好きなのがと言えば、たいていの子どもは遊ぶことで、子どもとしての「いのち」を燃やしている。子どもが子どもらしく生きている姿がそこにあるから。
 フリースクールで子どもたちと関わっているときも、その子がその子らしさを十分出せる空間をいつの間にか自分はつくりだしていたと思う。他のことでも万事そうで、その人のその本来のありようを周りが認めず、抑圧されているのを見ると、たまらない気持ちになる。そういう抑圧をする場所が、日本では学校であることが多い。
 普通に働いて、すでに敷かれているレールの上を歩いていくことに違和感を感じ、自分なりの生き方を追い求めている若者に出会うと、とてもうれしい。応援したくなる。自分なりの生き方を生きるということは、すなわち自分の真の「いのち」を生きるということだと思えるからだ。僕自身も、他人から見たらわがままなだけかもしれないが、自分の「いのち」を生きようとあがいて、ここまで来た。

 同じような感じ方で、今、福島の農産物の生産者が、放射能汚染のために危機的な状況に置かれていることに、やりきれない思いを感じる。
 もしお金のためにだけ農業をやっているのだったら、違う仕事を補償するか、生活の費用をなんとかすればそれでいい。(それもまったくといっていいほどなされていないが。)
 しかし、もしお金で生活を補償したとしても、一生懸命おいしい果物や安全な野菜を良心的に作ってきた農家の生産者にとっては、救いにはならないのではないか。そうした生産者にとっては、毎年毎年心をこめて畑に向かい、いわば作品としての桃や梨、稲などを収穫することが生きる目的と言っていいのではないか。収穫される生産物そのものが、そうした生産者の「いのち」の証であり、農がすなわち彼らの「いのち」なのだ。


 そうした良心的な農業生産者の「いのち」そのものを、その基盤を、原発事故と放射能が奪った。
 子どもたちの「いのち」が現れる場所、遊び場としての野原を、原発事故と放射能は奪った。

 放射能が人の命に悪い影響を与える、そのことよりも、「いのち」の発現である、農という営み、子どもの遊ぶ空間を奪ってしまったことに、僕は深い怒りを覚える…そうKさんに語っていた。


 最近、福島市にあえて残って畑をたいへんな労力を割いて除染し、放射能の影響を極力受けないように梨を育てたある農業生産者のことを知った。放射線量の高い地域でありながら、検査したところ1ベクレル/キログラムまで測れる精密な放射能検査をしても検出しない、安全な梨が収穫できたのだという。
 畑の除染作業で被曝する危険を冒しても、福島の農地をよみがえらせる努力を続けていくことを決めたのだという。
 生存するというだけの「命」を多少犠牲にしてでも、農という自分の本来の「いのち」を生きることを選んだのだ。

 この夏休み、福島からやってきた子どもたちは、プログラム盛りだくさんのとてもいそがしいキャンプで、時折熱を出したり病院に行ったりしながらも、11日間をひたすら遊びまくってすごした。あるプログラムを風邪のため休まなくてはならなかった子は、そのことを後になっても残念そうに言っていた。彼らは、放射能に押さえつけられていた自分の「いのち」を、このキャンプで生ききったのだ。
 その姿は、僕にとっては、とてもうれしい、すてきなものだった。

 「遊びをせむと生まれける」。
 「いのち」は守るものではなく、生きるものなのだ、と僕は深いところで思う。


 もちろん、今の福島県にばらまかれている放射能の量は尋常なものではなく、特に子どもたちには、できるなら安全な場所に一刻も早く避難してほしいと願う。農産物も、子どもたちには安全なものを与えたいと思う。福島の生産者が、とにかく生活できるように当然補償されるべきだとも思う。
 しかし、僕が強く惹かれるのは、「命を守る」ことではなく、「いのちを生きる」こと。
 原発事故と放射能汚染に対する深い怒りは、いのちを生きることを阻むものに対してなのだ。





 今月22日(土)の夜、明石駅近くの「らぽす」の5階、「明石市民ホール」で、「たこ焼きキャンプ」の報告・交流会が開かれます。 
 たこ焼きキャンプホームページ http://outdoor.geocities.jp/takoyakicamp/houkokukai.html

 Kさんの撮影した映像も上映されます。
 どなたでも参加できます。
 ぜひ、福島の子どもたちの「いのち」に触れにきてください。

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