2017-08

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二回目の会津若松市訪問記

 6月2日に出発し、5日にかけて、福島県会津若松市に行ってきました。

 今回は、寺子屋方丈舎の現地ボランティアのみなさんが企画してくださったイベント「芦ノ牧フェスティバル」でのたこ焼き屋台の出店がメインです。

 2日の朝出発し、到着したのが夜10時。今回の宿舎は、方丈舎のボランティアのために地域の方が貸してくださっている、ゲストハウスにする予定だという素敵な建物でした。階段や廊下が総ひのき(!)で美しくびっくり。NICEから派遣されたボランティアも十数人に増えて大所帯となっていました。4月に行ったとき一緒だったけんぞーさんやアンディがボランティアのリーダー役になっていて、今回はとてもお世話になりました。

 3日は運んでいった物資(文房具、ボール、辞書などを関西の仲間から寄贈してもらいました)を災害対策本部(元酒屋の建物を貸してもらっている場所)におろした後、4・5日のフェスティバルの会場である「芦ノ牧温泉ホテル」の体育館を下見。その後、方丈舎が「キッズルーム」のボランティア活動をしている東山グランドホテルへ。

 「キッズルーム」は、小さな宴会場をホテルの好意で貸してもらい、そこで子ども(主に幼児)を午前中から午後3時くらいまで預かり遊び相手をするというもの。現在は、一時避難所である体育館にいる人は激減し、多くの避難者は会津若松市内のホテルや旅館などの二次避難所に分散している。会津若松市の避難者は約一万人ほどという話だ。

 遅れて行った東山グランドホテルのキッズルームには、4人くらいの子どもと二人のボランティアさんがいました。子どもは入れ替わりがあったりで、のべ7~8人。おもちゃはたくさんあったのですが、子どもがグループで遊び始めると、その遊びに割って入ってトラブルを起こしてしまう子がいて、なかなかたいへんそうでした。僕ら神戸組も、そのトラブルメーカーの子の相手になったり、ボランティアの一人がマンツーマンでその子とかかわったりしているうちに、だんだんその子もみんなと遊べるようになったので、うれしかったです。

 その子を迎えにきたお母さんの様子からの勝手な推測ですが、長期間の避難生活でのストレス、ホテルが避難所になって物的な環境はよくなったけれど、個々ばらばらになって体育館に避難しているときより人間関係が薄くなって困っていることも多いのではないか、もともと子育てに悩んでいて、その上に今後の生活の見通しが立たず、ますます子どもにつらくあたってしまう…というようなことが、この子の落ち着きのなさの背景にあるのでは…などと考えてしまいました。

20116会津2


 4~5日は、いよいよ本番。芦ノ牧ホテルの体育館での「芦ノ牧フェスティバル」です。

 若いボランティアのみなさんは前夜に長時間、看板作りやイベントの企画の準備など熱心に取り組んでいました。普段は地道にキッズルームの日常活動に取り組んでいるので、ちょっとした非日常、学園祭のノリで楽しそうにも見えましたが、僕たちのたこ焼きがきっかけでこの企画ができたそうで、たいへんなお手間をかけてしまったと恐縮することしきり。

20116会津5


 体育館の中では「ベイブレード大会」「バドミントン大会」など各種イベントが行われ、僕たち神戸組のたこ焼き屋台は外の空き地にテントを張って出しました。そのテントにブルーシートをさらにつないで広げ、「青空整体コーナー」も作りました。一緒に行った野口整体を勉強しているニーロさんの、「気持ちいい場所だから外でやりたい」という意見で急きょ外でやることにしました。

 4日は50名ほど、5日はさらに増えて70名ほどの方が参加していたようです。当日は、原発事故のために避難している楢葉町の方が主に来ていました。

 たこ焼きは好評で、だいたい常時行列ができ100人分が両日とも完売(もちろん無料でふるまいましたが)。東北ではあまり店がないたこ焼きですが、中に「昔たこ焼きとお好み焼きの店をしていた」というおばあちゃんがいて、「おいしい」とほめてもらいました。また、「家にもたこ焼きがあるけど、一回もつかわないうちに避難してきちゃった」という子がいました。その子のお母さんが、「明日楢葉町の一時避難だけど、70センチの袋にたこ焼き器はいれられないべ」と冗談交じりに言っていたのが、とてもせつなかったです。

 若いボランティアさんたちが、たこ焼きも手伝ってくれて、そのうち避難している子どもたちも「子ども店員」に。中にとても熱心に手伝っている子が一人いて、話をすると、料理が好きで家にいる時はよく台所に立っていたとのこと。避難生活の中では、料理などクリエイティブな活動をする機会もあまりないのかもしれないとも思いました。

 みんながよってたかって手伝ってくれたため、手が空いたとよみさんと僕が、行列ができている「整体コーナー」を、急きょ手伝うことに。と言っても、ただ個人的にマッサージが得意だというだけの「にわか整体師」でしたが、こうした体のケア(同時に心のケアにもなる)、癒し系のものは本当に求められているようで、僕がマッサージしてあげた男性の方もたいへん喜んでくれました。「肉体労働してたけど、こんなに体が硬くなったのは初めてだ」「やっぱり避難生活のせいかな」と言っていました。

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 その日来られていた方たちは、たいへんな状況なのに意外に明るくユーモアのある方が多かったように感じました。聞くところによると、会津は静かで穏やかな中にも芯の強い人が多く、浜通り(原発のある海沿いの地域)は漁師の気質で、明るくオープンな人が多いという話で、実際接してみて、そういう感じがしました。関西とは言葉が全然違うのですが、あるおじさんと話しているとき、冗談が勢いよくポンポン出てくるので、なんだか大阪のおっちゃんと話しているみたいだなあと感じたり。そのラテン系福島人のおっちゃんも、「地震だけならなんとかなるけどよ、俺らは原発だからなあ…」と何度か言っていました。「この整体ってほんとに効くのが?」とおちょくりながらも、最後の片付けのときは一緒に手伝ってくれたりしていました。

 (今回の震災で福島に行ってあらためて感じたこと。東北というところは、クールな東京の雰囲気と違い、関西同様に人とのコミュニケーションでのユーモアを大事にしているところなのではないかと思いました。関西とテンポなど違いはあるものの、案外気が合うのでは、と思います。)

 フェスティバルのクライマックスは、地元会津若松市の太鼓グループによる演奏。楢葉町の子どもたちの中にも太鼓を習っている子がたくさんいたようで、一緒に太鼓をたたいていました。
その最後が、地元の盆踊りで踊られている民謡「会津磐梯山」。会津で生まれた僕にとってとてもなつかしい民謡で、思わず輪の中に入って踊り、想いで胸がいっぱいになりました。同時に、故郷の山河がこうした形で汚され、たくさんの人たちがこうした状況に置かれていることにも胸がふさがれました。

ただ、たこ焼きと整体を運んで行っただけなのですが、このイベントの中で、ホテルにばらばらに避難している方たちが久しぶりの再会に語り合ったり、被災者の方、ボランティアのみなさんが楽しそうにしているのを見て、多少のお役に立てたのでは、と思うことができました。
何より、原発震災で避難している方たちと直接接することができたのが、一番の収穫でした。

 今回見聞きしてきたことを、今後の活動に活かしていきたいと思います。

 今回の訪問を温かく迎えてくださり、いろいろ準備に尽力してくださった寺子屋方丈舎のみなさん、若いボランティアのみなさん、芦ノ牧のホテルのみなさんに心から感謝しています。

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