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つっちーとの対話(5)

三通目を書いてしまいました!……平和論に発展?!
                            2006.10.25  土山敏宏
>でもここで視点を変えて、「日本」という国(正確には日本と言う国家)と日本に住む僕たちのような一人ひとりの個人は、そもそも別のものだ、と考えるとどうでしょう」――そうですね、それも一応もっともだと思います。
>「言う資格があろうがあるまいが、とにかく戦争はいやだ、核で汚された地球にしてほしくない、息子を戦場に送りたくない、というごく普通の感情を僕はまず大切にしたいと思うのです。」
――それも感情としては当然だと思います。
 しかし、「言う資格がない者」からものを言われる相手の立場に立ってみれば、やはり説得力はないと思うんです。否、かえって相手の感情を逆撫でしてしまう結果にもなりかねません。日常の人間関係でもしばしば経験することですが……(笑)
 それよりもやはり、冷静に道理を弁え順序を踏み、礼を尽くして相手に思いを伝える、そうできるように努力すべきだと思います。

 今まで私は、政治の世界なんかどうしようもなく腐ってるだろうから問題にしても仕方ない、と思って無関心を決め込んでいたのですが、今回の北朝鮮の核実験に対する日本の対応を見て、なんとも嫌な感じがしたものですから、自らの無知を顧みず思うことを書き、縁ある方々に読んでもらって一緒にどうすべきか考えていきたいと思ったわけです。
その「嫌な感じ」というのは、厳密に言えば二つあります。
 一つ目は、核兵器や戦争というものへの恐れ。
 もう一つは、「なぜ核兵器を持ち、他国への侵略を繰り返すアメリカに対しては口を閉ざし、北朝鮮だけを責めるのか?」といった、日本の政治家や世論(国民)の道義心の無さにです。
 そして私は、「いつからこの国の政治は、当たり前の正義に基づいて行動することを忘れてしまったのだろう?」という疑問を持ったものですから、無学な私は講談社の「日本全史」やら(笑)、いくつかの本に目を通して明治以降の歴史をおおまかにですが調べてみました。すると、どうも純粋に本当の政治家と呼ぶに値する人物は、悲しいことに西郷隆盛ひとりくらいが、最初で最後だったのでは?……という情けない結論に至ったのでした。
 西郷は言います。
 『正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮蔑を招く。その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる。』
 同じく述べます。
 『とにかく国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危うくなろうとも、政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である。……戦争という言葉におびえ、安易な平和を買うことのみに汲々するのは、商法支配所と呼ばれるべきであり、もはや政府と呼ぶべきでない』(内村鑑三著「代表的日本人」より)
まるで、アメリカの下僕に成り果てた現代の日本を予見したかのような言葉であります。 私は、自衛隊をアメリカの手先として働かせるために憲法改正を論じ、新たな法律を作ろうとする今の政治家連中は当然間違っていると思いますが、“友好国”アメリカの暴走には見て見ぬふりをしながら自国の「安易な平和」のみを選ぶ平和主義者であってもいけないと思うのです。
 誤解のなきように言っておきますと、もちろん私は戦争も核兵器も大嫌いです。そして私は臆病ですので、戦争は想像しただけでも本当に恐ろしいと思います。しかし、だからこそ、ただ自分達さえとにかく平和であれば、そのための手段は選ばなくていい、とは思えません。必要とあれば、戦争を憎む者として行動し、自らを危険な立場に置ける勇気くらいは持たなければ、と思うのです。国としても個人としても。
 生命は大事です。しかし、生命よりも大事なものもあると思います。
 私は、盲目的に、「お国のため、陛下のため」に命を軽んずる過去の軍国主義を嫌悪します。しかし同時に、正義よりも生命を、正義よりも利益を尊重して恥じることもない戦後日本の風潮を最も嫌悪します。
 私は、愚かに死に急ぎたいと言っているのではありません。
 正義よりも我が身を尊重して、本当により多くの生命を守ることができたでしょうか? 正義よりも利益を尊重して、本当に豊かになれたでしょうか?
 答えは明らかです。
 正義を捨てて保身や利益を求めるものは、いたずらに罪を重ね、さらに強大なる悪に魅入られ、喰い物にされる……ということに、歴史を通して、もういいかげん学ぶべき時だと思うのです。

 『私は、ヨーロッパ諸国のいくつかの国が押し進めてきた貪欲な帝国主義を、仏陀やキリストが教えた完成の理想や、アジア文明および他の緒文明の発展の原因となった文化の偉大な遺産と良き隣人関係と対照しました。科学の野蛮な面が、西洋の人間性を犠牲にし、西洋の無力な大衆を道徳的食人肉主義へと追いやりました。しかし、栄光あるルネッサンスをすでに迎え、自分たちの前に創造的未来がはっきりと約束されている雄々しい国民が、科学のあの野蛮な面を模倣すべきではないと、私は武士道の国、偉大な芸術の国、高貴な英雄主義の国に警告します。』(タゴール「詩人から詩人へ」より)

 このように、私達の過去とは、決して愚かな軍国主義だけではないと思います。私は、戦後日本のだらけた空気の中で生まれ育ったツマラナイ青年の一人として、駄々をこねるように平和を求めるのではなく、本来的に正義や美を愛してきた日本人として平和を求め、行動すべきときが来ているような気がしてならないのです。それは決して私達の優越ではなく、この土地で歴史を受け継いだ者の義務であり使命だと感じるのです。
 「ごく普通の感情」として平和を求めるというのは、戦争をなくすためには有効だとは思えません。なぜなら、暴力によって傷つけられ威嚇されれば“恐怖”するという、人間の「ごく普通の感情」を利用して従わせることが、戦争を起こす者のねらいの一つだからです。
 また、人と人が傷つけあってしまうということは、国家間の戦争に限らず、個人レベルでも日々繰り返していることです。
 だからこそ、本当の意味で「高い視点に立つ」必要があるとも思います。

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コメント

インドの思想家、タゴールは言います。
『権力を求めるあまり、心を犠牲にして武器を増強させるなら、より危険な目におちいるのは敵ではなく自らである』と。 日本は絶対に核をもってはいけないのです。
http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/

たけ様
コメントありがとうございます。
ホームページものぞかせてもらいました。
暴力は暴力を生み、寛容が寛容を生むのだと思います。

    まず知りあうこと。
    知りあえば、お互いに愛しあうようになるでしょう。
    互いに愛しあえば、支えあうようになるでしょう。
    
    もしほんとうに愛したいと願うなら、
    ゆるすことを知らなければなりません。

          (マザー・テレサ 『愛のことば』 より)

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