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私たちの生き方が問われている ~ 原発震災からうけとめたこと

 「本当に起こってしまった」……ほんの少しとはいえ、原発の恐ろしさを本などで読んで知っていて、反原発デモなどにも参加したことのある自分にとって、どんどん拡大していく事故をなすすべもなく報道で見聞きする数日間は、火であぶられるような時間だった。
「なぜ、もっと本気で原発を止めようとしなかったのか?」
「なぜ、原発に依存する生活を許容してしまったのか?」と。

 一番はじめにしたことは、水道の水をタンクにためたこと。わかめを山ほども買った。
しかし、そんなことがなんになるのか?
放射能汚染が広範な地域に広がれば、水も食べ物も危険になる。一時的に被曝を免れたとしても、関西一円も、がんの発症におびえながら暮らさなければならない状況になるかもしれない。実家のある関東にいる親族も、とても無事でおれるとは思えない。原発事故の確実な防災対策は、原発をすべて廃炉にすることしかないのだ。

ラジオの報道で流れる事故の進展を聞いて眠れなくなった夜、かつて読んだ原発事故のシュミレーションの本(瀬尾健著『原発事故・そのときあなたは!』風媒社)をあえて読み直した。これからどんなことが起きていく可能性があるのか、それを具体的に書いたこの本を読むことで、逆に落ち着きを取り戻すことができた。
それにしても、著者の瀬尾健さん(元京大原子炉研究所助手、故人)は、なんと詳しいシュミレーションをしていることか。なのになぜ、私たちはこの事故を防ぐことができなかったのか。瀬尾さんだけでなく、身を挺して原発の危険性を訴えてきた人たちもたくさんいるのに。
あらためて涙が出てくる。

 私が原発事故におそれおののいている間にも、地震と津波の被害のとてつもない大きさが明らかになっていく。私がわが身と家族の心配をしている間に、現に今、想像を絶する苦しみの中に投げ込まれている人たちがこんなにたくさんいるのだ。

 そして、以下のような内容の文章がメールでまわってきた。
 …今、原子炉の爆発をなんとか止めてほしいと思っている人、現場にいる原発労働者に『がんばってください』という人がたくさんいる。しかし私は、事故を食い止めている作業員に『今すぐ逃げろ!』と言いたい。事故の収束を祈っている人たちが、日雇いの原発労働者がどれだけ低い賃金で働き、被曝してがんになっても証明されないために見捨てられている実態を知っているのか。自分や家族を守るために原子炉の爆発を食い止めたい人は、自分が代わりに作業をしに行けばいい。…
 
 原発の下請け労働者がピンハネされたうえ、がんになってもろくな医療も受けることができず、ひっそり路上で亡くなっていくような実態があることは、本で読んで知ってはいた。しかし、こんな形で自分につきつけられる日が来るとは想像もしなかった。原発に反対していた私も、賛成していた人たちと同じように電気をふんだんに使える原発に支えられた豊かさを享受していたのだ。そしてそれは、多くの人たちの犠牲の上になりたっていた。
もし、再び深刻な状況が始まり、「志願兵」のような形で福島第一原発で働く作業員が募集されたとしたら、自分は志願するだろうか。今も問いは突きつけられ、私にはまだ答えがない。


それでもせめて、少しでも原発事故の現場の近くに行きたいと思った。

私には責任がある。
こうした事故の危険性を十分知りながら、自らの生活の在り方を根本的には変えることができなかった。結果として、原発近辺に住む人たちから地震と津波から立ち直る希望を奪い、彼らのなつかしく美しい故郷を戻れない場所にしてしまった。原発作業員に膨大な量の放射線をあびせ、わが子を含む日本中の子どもたちに半永久的に危険な水と空気と土と食べ物を残してしまった。他の国につながる海にも放射能を流してしまった。
もう間に合わない可能性の方が高い。日本に住む限り、放射能とある程度共存するつもりで生きていかねばならないだろう。しかし、一人の人間の生き方として、この事態の中で何かをしなければ、と思う。せめてできるだけ原発の近くに行き、原発震災の姿をこの身で感じてきたい。
そう思いながら、こちらの日常も過ごす中で、すぐ動くことができなかった。すぐに、福島の赤ちゃんや妊婦さんを迎えに行く活動を始めた「心援隊」の人たちなどの活動に頭が下がった。


4月の半ば、たった二泊三日だったが、たくさんの人が地震・津波・原発事故から避難してきている会津若松市にボランティアに行くことができた。それだけのことだが、私の魂は少し救われたような気がする。
会津に二三日いたことによる被曝線量は、悪く考えてもヨーロッパに飛行機に乗って行って受けた量より低い。もっと過酷な状況にいる福島県東部の人たちのことを考えると、ことばもない。それでも現地に行き、多少なりとも被災した人たちに出会い、役にたてることができただけでも正直ほっとした。 
そして、家も仕事も失い、大切な人を亡くし、放射能におびえながらも、身近な人と支えあって生き抜こうとしている人たちの姿をじかに見ることができた。自分たちの活動の場も大変なのに、震災ボランティアの活動に生き生きと力を発揮している「フリースペース寺子屋方丈舎」の人たちの姿にこちらの方が心から励まされた。その舞台となっている会津に私は子どものとき居たことがある。その地が、とにもかくにも日常を取り戻し、人が生きる世界として続いていることも、とてもうれしかった。


関西にいると、とりたてて大きな変化が感じられないのだが、今回の震災と原発事故は、戦後もっとも大きな出来事であり、61年前の敗戦に匹敵するような日本社会の大きなターニングポイントになると私も思う。地震と津波の被害から立ち直るだけでも相当な時間がかかるうえに、原発事故の収束は見通せず、放射能による被害の実態が明らかになるのはまだまだ先の話になる。
特に原発については、このようなおそろしい原子力や放射能の危険と隣り合わせに生きていく覚悟をしてまで物質的豊かさを選ぶのか、それともある程度の不便や不自由を受け入れつつ全体としては安全に生きられる世界、内面の豊かさを求めていく生き方を選ぶのかを、私たちに問いかけているように思う。

もちろん自然エネルギーは、もっと発展させられるし、今まで原子力産業や電力会社の利権のために推進してこれなかったという事情もある。自然エネルギーはもっともっと進めなくてはならないが、もう一方で、私たちの求めている「豊かさ」の中身を問わなければならない。この震災の前に、より速く、より快適に、より便利に、より効率的にという「モノ的豊かさ」は、極限に達していたのではなかろうか。震災前に世で騒がれていた、貧困や格差の問題、自然環境の問題、人の心が荒んできた証拠といわれる物騒なさまざまな事件などは、その極限の表れではなかったろうか。モノ的豊かさが極限に達したタイミングで、この震災と原発事故が起きたとは考えられないか。
今、被災地では、モノ的豊かさは壊滅したが、よみがえった「人のつながり」によって、人々が支えられる状況が続いている。本当の豊かさは、人と人とのつながりの中にこそあるのではないか。それは16年前私たちが経験した阪神大震災の中でも語られたことだった。
今回の東日本大震災の規模の大きさを目の当たりにすると、こうした言葉を軽々しく発することすらためらわれる。被災地ではもっと物資が必要なのも事実だ。しかし、それでもやはり、人のつながりによる内面的な豊かさを忘れないでいこうと思う。


今も東北ではたくさんの人たちが、この間まで日本人が海外のことだと思っていたような難民としての生活を送っている。福島第一原発も決して安全な状態にはなっておらず、関係者の必死の努力で破局的な事態をかろうじて免れている。そして、東北沖でもう一度大きな余震と津波が来るとされ、今日あるいは30年後までに3.11と同じような巨大地震と津波が起こる。浜岡原発は運転停止のきざしが見えたが、他の原発の近くの活断層が動き、もう一度、今度はもっと救いようのない大規模な原発事故が起こるかもしれない。

もう間に合わないかもしれない。放射能まみれで生きていくしかないのかもしれない。
しかし、アッシジのフランシスコは、明日世界が滅びるとしたらどうするかと問われ、「それでも私は種をまく」と答えた。
フランシスコのようには生きられないかもしれない。でも、せめて、自分の子どもを含めた「後から来る者」、子どもたちのために、原発を使わなくていい社会をつくる努力をしたいと思う。
それが、この時代を作ってしまった一人の大人としての責任の取り方ではないかと、私は考えている。

                                 (2011年5月7日・記)
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