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福島県会津若松でのボランティア

 本当に久しぶりの更新です。

 今月(2011年4月)の12日から3日間、福島県会津若松市にボランティアに行って来ました。
 
 愛車ロゴに、野菜、調味料、レゴ等を目いっぱい積み、ラミ中でもボランティアをしてくれていた「いそちゃん」と二人、片道800キロ、12時間を走って、フリースペース「寺子屋方丈舎」にたどり着きました。
 寺子屋方丈舎は、会津若松市内のフリースペースで、学校外の子どもの居場所・学び場の運営や子どもたちの自然体験活動に取り組んでいます。代表の江川さんに一度お会いしただけの関係ですが、今回快くボランティアとして受け入れていただきました。
 
 会津若松には、大熊町など海沿いの地域(浜通り)から、津波や原発事故の避難者の方がたくさん集まっています。(会津若松市は原発からおよそ100キロの距離。)市内3箇所の避難所には一時数千人の方がいたとのことですが、現在は二次避難所(自治体からお金が出で泊まることのできる旅館やホテルなど)に移っていて、避難所にいる人数は激減しているとのことです。
 しかし、到着したときの若松市は、関西の都市部と同じく普段とかわらない様子で、避難所以外は、とてつもない出来事が起きているとは信じられないほど穏やかな日常の空気が流れていました。

 寺子屋方丈舎さんは、震災後しばらくフリースペースをお休みし、市内の避難所の子どもたちの遊び場づくりのボランティアや、避難所の支援の活動をしていました。私たちが到着した時は、フリースペースも再開していて、子どもたちが集まり、震災のボランティアのみなさんがミーティングの最中でした。来ているボランティアは主に国際NGOのNICEから派遣された方たちでした。
(NICEの会津での活動のブログ)

 持っていった物資は、震災NPOの倉庫(廃業した酒屋)にいったん持って行きました。翌日、避難所の一つ、会津総合体育館に炊き出し用として野菜を届け、レゴも子どもの遊び場に持って行きました。残った野菜は、大熊町から避難して方たちが物資を取りに来られる倉庫(廃校した高校の体育館)に届け、残ったレゴも今後子どもたちのために活用していただくことになりました。
会津ボランティア・レゴ

 野菜と調味料は私が働いている無農薬野菜の共同購入会「菜のはなの会」(神戸市西区)の会員および生産者の方たちから、レゴは我が家で息子と一緒に遊んだお古のほかに「ちびくろ保育園」の保護者のみなさんや関西のフリースクール関係者のみなさんから寄贈していただきました。また、何人かの知人の方に、交通費にとカンパもいただきました。(その中からガソリン代、高速料金にあてたほか、一部は現地のNPOに寄付させていただきました。)心からお礼を申し上げます。


 二日目には、NICEのボランティアのみなさんと一緒に、段ボールを使ったパーテーション(間仕切り)づくりのワークショップにも参加。教えてくださったのはSEITOKUの阿部吉雄社長。阪神大震災でも役にたった段ボールハウスの技術をパーテーションにも応用して、今後宮城県内の避難所でも活用するとのことでした。
 これがとても面白く、災害時はもちろん、子どもの体験活動としてもとてもいいのではないかと思いました。スーパーでもらってくるような段ボールのリサイクルで、ほんとうに小さな家ができるんだそうです。

(段ボールのパーテーション)

会津ボランティア(ブログ用)

 三日めは、その前日作ったパーテーションを持って避難所になっている河東体育館へ。避難している子どもたちと一緒に体育館の外でパーテーションづくりをしました。
 一時間ほどパーテーションづくりを見学しました。体育館に避難している人はもともと数が減っているのと、昼間はどこかに用事に出かけているのか、外に出てきている人は少なかったのですが、パーテーションづくりをしていると、子どもたちが少しずつ外に出てきて参加しはじめ、大人の被災者の方が二、三人、ほかに県外から来たボランティアの方や婦人警官など何人か見に来ていました。
 最初に出てきた女の子二人は、最初あまり表情がありませんでしたが、自然な感じてボランティアの人たちともなじんでいたようです。一人の子は、段ボールをカッターで切るのが上手で、みんなに褒められていました。

会津ボランティア2

 わずか一時間の間でしたが、見に来ていた二人(男性)の被災者の方から声をかけてきて、立ち話をすることができました。そのうちのおひとりの方は、南相馬市で被災され、家が津波にのまれた上、原発の避難区域であったため、若松市にやってきたとのことでした。お孫さんが二人同じ河東体育館に避難していて、パーテーションづくりにも参加していました。
 もう一人の方は、「同じとこに住んでる人で、避難しない人もいたけど、俺は放射能が怖いから逃げてきた。目に見えないから怖い。」と言っていました。
 二人とも、こちらから聞いたわけでもないのに、あたりさわりのない話をしているうちに向こうから被災した話や原発事故のことを話しはじめていました。県外から来たボランティアの人だと、こうした話はむしろしやすかったのかもしれません。
 会津では二次避難が行政によってすすめられ、大人数が集まる避難所は縮小・拡散が始まっていますが、現時点ではこのパーテーションづくりのような被災者がほっとするような企画をボランティアが持ち込んで、被災者と言葉をかわし、心の中にたまったものを受け取って帰るような取り組みも必要な時期に入っていると感じました。もちろん、今後の生活をどう再建するかという見通しも立てにくいという厳しい状況でもあるでしょう。
 被災者があちこちに分散する二次避難が主流になり、今後の支援の在り方を組み立てなおす必要があると、寺子屋方丈舎の江川さんも言っておられました。
 
 子どもたちの遊び場にいたいそちゃんは、じかにいろいろな話を聞いたようです。やはり被災者の方の側から問わず語りで様々なお話が出てきたそうです。また、一人の中学生の男の子と長い時間親しく話をし、一日で意気投合してしまったそうです。その子の家も原発の避難地域にあり、津波で流されたそうです。
 とてもつらい状況の中でですが、その子にとってもいそちゃんにとってもいい出会いだったようです。


 その日の午後、子どもの遊びボランティアに参加したいそちゃんを体育館に残し、僕は単独で車にお米300キロを積んで南相馬市のボランティアセンターに向かいました。

会津ボランティア3


 南相馬市は、退去非難区域、屋内退避区域、およびそれ以外に三分されています。もちろん海沿いのため津波の被害も受けています。放射線量は、風向きの関係で福島市や郡山市などより低いのですが、原発が近いため支援の手がはじめは届きにくいと聞いていました。そこにも何か持って行きたかったので、会津のNPOの倉庫で余っているお米をいただいて運びました。

 行く途中、車の窓から見ただけですが、様々な光景に出会いました。(時間がなかったのと、無用に見に行く気になれなかったので、津波の被害を受けた場所には行っていません。)
 ちょうど小学校が終わる時間だったので、福島県浜通りに近づくにつれ、マスクをして集団下校する小学生たちの姿、小さな子どもと一緒にマスクをして歩いているお母さんの姿も見ました。ほかにはいつもとかわらない日常の風景だったので、よけいに胸が衝かれる思いでした。
 また、風向きの関係で累積放射線量が高くなっている飯館村も通りましたが、ほとんど屋外に出ている人は見ませんでした。それを意識しなければ、自然が豊かな田園風景です。広い農地や「飯館牛ステーキ」の看板を見ると、こうした豊饒な大地が、いかに大変なことになっているか、たまらない思いがしてきます。

 南相馬市に入ると、外では人影がまばらでしたが、ボランティアセンターにはたくさんの地元のボランティアの方が働いていて、建物の中は活気がありました。物資はそこそこたくさんあって、阪神大震災の時のボランティア基地に物資が山積みになっていた光景を彷彿とさせます。
(南相馬市ボランティアセンターのブログ)
 

 方丈舎に泊めてもらい、NICEのボランティアのみなさんと交流できたのも、いい出会いでした。方丈舎の名前は前から聞いていましたが、子どもたちのための活動もよく考えて作り上げてきているのを、現場を見せてもらって肌で感じることができました。その場所に心意気の高いボランティアの方たちが集まっていて、16年前の阪神大震災のときにかかわった「ちびくろ救援ぐるうぷ」の雰囲気に似ているとも感じました。

 市内は普通にスーパーなども営業していて活気があり、いい感じの高校生たちも通りを歩いています。また、駅前にはとてもすてきなスーパー銭湯があって、僕らもお風呂に入りに行きました。390円というとても安い料金なのに、源泉かけ流し、とても広くたくさんの種類の浴槽があります。さすが東北の「なんでも大盛り」の精神を感じ嬉しく思いました。
 他方、普通の履物のお店のの店先に、防災グッズや「ガイガーカウンターの予約承ります」の張り紙があったりして、事態に対する不安が大きいこともわかります。(若松市内は僕の滞在中0.16μ㏜で、県東部よりはるかに安全な空間放射線量とは言え、まだ兵庫県の4倍の数値でした。)
 会津は、僕の生まれた場所でもあり、小学生のころ自然の中で十全に遊びまわった記憶があります。磐梯山や猪苗代湖に囲まれた米どころ、鶴ヶ城や白虎隊といった歴史と文化のある、豊かな地域です。
 その地が、こうした状況に置かれていることを思うと、いたたままれな思いがします。
 まして、原発近くに住んでいた人たち・子どもたちが、思い出深い故郷から引き離され、困難な生活を強いられていることを思うと、涙が出てきます。


 最後はあわただしく方丈舎のみなさんと別れを惜しみ、若松市を後にしました。
 
 遠く離れた兵庫からですが、福島県の被災者の方を応援する方法を考えたいと思っています。


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