2017-06

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書評   『「ニート」って言うな!』

 だいぶ昔のはなし。卒業生が高校でできた4~5人の友達を連れてラミ中に遊びに来たことがあった。
 その「友達」たちは、挨拶もなしに入って来たかと思うと、その辺に座りこみ勝手にギターをいじったりマンガを読んだり。あげくの果てに「かけていいですか?」の一言もなしにラミ中のステレオにCDを入れて大音量で音楽をかけ始めた。
 なにが一番腹が立ったかと言うと、すぐ目の前に「大人」として僕らがいるのに目に入っていないかのように振舞っていたこと。「ここは公園じゃないぞ!」と思ったが、よくよく観察してみると、僕らガーディアンを無視するような振舞い以外には特段悪いことをするわけでもない。逆に、現役のラミ中生に優しく話しかけたり一緒に遊んであげたりしていて、雰囲気としてはそう悪いものではなかった。
 あとでいろいろ彼らのことを知ったが、確かに大人の「常識」をあまりよく知らない所はあるが、一人ひとりは根のいい子たちのようだった。僕らガーディアンは、結局僕らに対する彼らの傍若無人さ、言い換えると「大人としてちゃんとした扱いをしてもらっていない」ことに腹を立てていたのである。

 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智の三氏による『「ニート」っていうな!』(光文社新書)は、最近声高く言われる「教育改革」「青少年の問題」を語る時、ぜひとも参考にしなければならない本だと思う。
 イギリスでの16~18歳までの学生でも労働者でもない人を表す「NEET」という言葉が日本に入ってきて、“働く気も学校に行く気もない堕落した若者”を表す「ニート」という言葉になってひとり歩きを始めてしまった。そして政府も「ニート対策」を掲げて若者への職業訓練などの施策を始め、「有識者」の一部があたかも「プチ徴兵制」であるかのような労働や社会奉仕の若者への強制を口にする…。
 著者の一人の本田氏は、政府が行なった調査報告書をもとに、「働く気のない若者=ニート」の数が増大しているかどうかを論じている。その結果、「働く気のないニート」の人数は1992年~2002年の間でほぼ横ばいで、病気などの事情で「働きたくても働けないニート」がやや増えていること(病気には過酷な労働による怪我や鬱などの精神的な病気も含まれる)がわかる。むしろ数として増えているのは、ニートには含まれない若年失業者とフリーターであるという。そして、純粋なニート…働く気がなく「道楽」をして生活をする人たちは過去にも人口の1パーセントほどは必ずいて、その人たちの一部が芸術家だったり文学者だったりしたのだという。そういう人たちの存在を一切認めない社会は、とても息苦しいものではないかとも。
 このデータからわかるのは、若者が仕事を探しても見つかりにくかったり、フリーターなどの非正規雇用ばかりになっているという企業や政府の雇用政策こそ一番の問題だ、ということである。そして、若年者の雇用問題を「ニート」という青少年の心の問題にすりかえて、ひたすら若者を「教育」することで解決をしようとすることの愚を鋭く指摘している。
 もう一人の著者、内藤氏は「ニート問題」を新手の“青少年に対するネガティブ・キャンペーン”としてとらえ、マスコミの青少年事件の取り上げ方を詳細に検討している。
 青少年の凶悪犯罪(殺人・強姦)は戦後一貫して減り続け、1970年代からはほぼ横ばい、ここ数年にほんの少し増加したにすぎないのは、グラフを見れば一目瞭然。にもかかわらず 多くの人が「最近の若者は凶悪化した」と思い込むのは、繰り返し同じ場面を報道するマスコミのあり方が大きいと言う。中高年の犯罪に比べて青少年の犯罪がテレビで大きく扱われ繰り返し映像が流れるのは、「青少年の凶悪化」を扱うと視聴率がアップするからだという。雑誌もしかりで、売上げが伸びるのだという。
 「昔はよかった」とばかりに僕も懐かしむこともある1970年に未成年の殺人事件の件数がなんと2004年の2倍もあったこと、「青少年犯罪もの」がマスコミで流行るのは大人の心の中にある不安や憎悪を若者に向ける傾向があるためである、などの指摘にはドキッとする。昔から大人は「近頃の若者は…」といい続け、自分たちが理解できない若者の風俗を不気味に思ってきた。それが近年ひどくなって、それを利用してマスコミが儲け、さらにそれに便乗して戦前の教育を懐かしむ政治家が「青少年に厳しさを」と言い募る…。

 正確な資料に基づかない、一部「有識者」の「感想」や「印象」によって国の教育政策が大きく振り回されようとしている今日、この著者たちの咆哮は万人にとって聞くに値するものだと思う。
 それを認めた上で、あえて批評ないし感想として付け加えたいことがある。原則的に彼らの意見に同意しつつも、現実に「ひきこもり」などの重い問題に取り組んでいる現場にいる人たちが、たとえ「ニート支援」というあやまった表現であったとしても、苦しい状況にいる若者たちに居場所を作り、就労もふくめた彼らの生活支援のために奮闘していることを僕は否定することができない。政府や企業の現在の雇用政策は絶対に改めるべきだと思うが、苦しんでいる若者たちの支援に取り組んでいるNPOなどの活動には、どんな名目であっても行政の支援はあった方がいいと思う。
 そしてもうひとつは、「では、どうすればいいか」についてである。本田氏が提言しているこれからの職業教育のあり方…かつては企業が新入社員を育てる機能を持っていたが、非正規雇用が常態化した今日では難しい、よって学校教育の中に専門的な職業教育を取り入れるという案…はとても面白いが、たとえばこうした職業教育を行政が公的に保障するというようなことができないかと思う。若者だけでなく、中高年も含めて、転職する時などに必要な技術やスキルを無償で身につけることができるようになると、今言われている「格差」の弊害は一定取り除かれるのではないか。また、内藤氏の言う、異質な存在に対して憎悪を抱いて排除するようなことを積極的に規制し、多様な個人や集団の存在が共生する「自由な社会」のイメージには、とても惹かれるが、どうやってそういう社会を築くのかについて具体的な記述がなかったのは残念に思う。
 もう一つ、「今どきの若者論」とのそしりを恐れずに言えば、やはり今の子どもや若者の中で弱くなっている人間的資質はいくつかあるのではないか。その一つが「徒党を組む力」…特定の一人の相手をいじめることで維持できるつながりでなく、なにかを一緒に創り出すようなつながりを作る力が、今の子どもたちには必要だと思う。どんなに柔らかい頭と優しい心を持っていても、「つながり」を作れなければこの社会を維持し新しいものを作り出すことはできないのだから。もっとも、こういう力を育てるための「遊び」の役割を軽視し、ひたすら受験勉強や習い事をさせてきたのは大人だし、僕自身にもこの力が欠けていることを認めつつであるが。

 さて、冒頭の話しの続き。
 その「傍若無人な友達」を連れてきたその頃の卒業生たち。ラミ中にいた頃は一生懸命ガーディアンが準備したテーマ学習の最中はおとなしく聞いたためしもなく、わがまま放題の所業も多かったが、現在はその子たちのほとんどが何かしら仕事を持ち、人づてに聞いたところ、とても働き者だと職場で評価されている子が多いという。無論、フリーターの身分で「ワーキングプア」、働いても働いても報われない状況にある子が多いのには胸が痛いが、いろいろ心配しながら送り出した側としてはとても嬉しい話である。
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